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業界ニュース & スタッフ・ブログ

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Kちゃん、実家へ帰る。

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

夏季休暇を取られた方は、帰省したり旅行へ行ったりなどした方も
おられるかと思います。
本日は、同僚のKちゃんが田舎へ帰った時の写真をシェアしてくれたので
会社のブログにアップさせていただきますね。

Kちゃん、どうもありがとう!

これはご実家の近所のひまわり畑。
お花がみーんなこっち向いてて圧巻ですね!
奇麗なひまわり畑です。こんなところで私も写真を撮りたい!

これは新潟では割と有名なところてん屋さん「日本一うまいところてん」の写真です。
ご家族と皆で食べに行ったんだって!
おいしそうですね!

このお店、4月~10月限定オープンで冬はやっていないそうな。
比較的山の中にあり、雪もすごいのでそれも仕方ないのでしょう。
写真でわかるとおり箸は1本。
箸が1本なのには、弘法大師様に関連した言われがあるようです。
1本では食べにくい?
いえいえ、ところてんの真ん中辺を持ち上げて一気にすするとうまく食べられる、と
ネットに書いてありました。
奇麗な湧水を使っているので、さっぱりと美味しいお味だそうです。
ところてんが330円、かき氷がなんと100円!!

びっくり価格です。
鯉のエサも1回100円と聞いてまたびっくり!
その話を聞いたときは、趣味でお店開いているのかと思いました。
(そんなこともないと思うけど。)

お店の奥にはテラス横に池があり、たくさんの錦鯉が泳いでいました。
買ってまで餌をやる人がいないせいか、Kちゃん一家が餌をポイポイすると、鯉たちは
すぐ寄ってきて大騒ぎ!

どんどん上に上にと被さって餌に食いつこうとするので、可笑しいやら怖いやら。
写真で見てもすごい迫力ですが、動画で撮ったものには周りの笑い声や話し声が
ばっちり入り込んで、人間側も大騒ぎだったみたいです。

100円でこれだけ楽しめるなら、最高にコスパがよかった! とはKちゃん談。
生きることに貪欲な鯉たちを見て、エネルギーをもらったみたいでした。

いやー、私も写真撮りたかった!

ちなみに、錦鯉は新潟の特産品。
昔、田中角栄が自宅の庭で飼ってたと有名になってましたね。

以下、ウィキからの引用です。
ご面倒な方は読み飛ばしてください。
Kちゃん、どうもありがとう!

++++++++++++++++++

ニシキゴイ(錦鯉)は、 観賞魚用に改良したコイCyprinus carpio) の品種の総称である[1]。色鮮やかな体色にたとえられた。日本新潟県品種改良養殖が進み、国内各地への移入や海外輸出が進んだ。「生きた宝石」「泳ぐ芸術品」とも呼ばれ、業界団体である全日本錦鯉振興会は日本の国魚と位置付けている[2]

特色[編集]

黒以外の鯉を色鯉(イロゴイ)、特に赤い鯉を緋鯉(ヒゴイ)、特に観賞魚として色彩や斑点など、体色を改良されたものを錦鯉(ニシキゴイ)という。特に錦鯉にはその模様によって多くの品種があり、紅白大正三色昭和三色、黄金、浅黄などがある。錦鯉は飼育用として人気が高く、斑点模様、色彩の鮮やかさ、大きさ、体型を価値基準として高額で取引されている。また、鱗が大きくて部分的にしかないドイツゴイも移入されている。これに対して、普通の黒色の鯉は真鯉(マゴイ)、烏鯉(カラスゴイ)または黒鯉(クロゴイ)、特に野生の鯉は野鯉とよばれる。なお、飼育型の鯉は尾びれの下半分が赤く染まっているものが多く見られる。

愛好者が多いアメリカ合衆国で小売りを行う日本企業[3]や、日本から輸入したニシキゴイを繁殖させて販売する中華人民共和国の事業者もいる[4]

歴史[編集]

様々な色の鯉がいることは中国の西晋時代(4世紀)の書物に言及されている。一般的に、19世紀に日本新潟県小千谷市と旧山古志村(現・長岡市山古志地域)を中心とする地域で意図した錦鯉の飼育が始まったと考えられている[5]水田で働く農民が、一部の鯉が他のものより明るい色をしているのに気づき、それを捕まえて育てたとされる。通常であれば他よりも明るい色は鳥やその他の捕食者に見つかりやすいため、その魚は生存しにくくなるのである。

小千谷市や山古志村を中心とする地域で錦鯉の養殖が盛んになった背景に、1.冬期の非常食用として休耕田に鯉を養殖する習慣があり、2.山間部ゆえに隠田が多く存在し、比較的裕福であった、という2点が挙げられる。余裕のある農家の趣味として錦鯉の交配が進み、質の良い個体が売買されるようになった。それ以降も養殖は進み、20世紀までには数多くの模様が開発された。最も顕著なものは、赤と白の「紅白」と呼ばれるものである。

1914年(大正3年)の東京大正博覧会に出品されるまでは、開発の程度が世に知られることはなかったが、東京博覧会以降には日本中で錦鯉への関心が高まった。さらに、錦鯉を飼う娯楽はプラスチック袋の発明以降は世界に広まり、飛行機や船の技術の進歩により、錦鯉の輸出は速く安全なものとなった。これらの要因により、錦鯉を低い損耗率で、世界中へ輸出できるようになった。現在は、多くのペットショップで広く売られており、専門のディーラーを通せば特に高い品質のものを買うこともできる。

このように新潟県では錦鯉の養殖が盛んになったが、2004年(平成16年)の新潟県中越地震により、旧山古志村をはじめ一時は壊滅的な被害を受けた。また、コイヘルペスウイルスにより、廃業した業者もいる。

2017年(平成29年)における日本の錦鯉の輸出額で36億3300万円であり、10年間でほぼ倍増した。出荷先は香港や欧州(ドイツ、オランダ)が上位。1匹2億円以上で取引されることもあり、全日本錦鯉品評会には外国から出品する愛好家も多い[6]