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Nさんの夏休み ~屋久島紀行

2019.10.24

Nさんが遅い夏休みを取って屋久島へ行ってきたそうです。

写真をシェアしてくれたので、早速ご紹介しますね!

Nさん、どうもありがとう!ヽ(^o^)丿

屋久島をよく知らない方へ、いつも通りウィキから抜粋で

屋久島のあれこれをご紹介いたします。

 

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屋久島(やくしま)は、鹿児島県大隅半島佐多岬南南西約60kmの海上に位置する熊毛郡屋久島町に属し、近隣の種子島口永良部島などと共に大隅諸島を形成する。より南方にトカラ列島奄美群島が位置する。

 

豊かで美しい自然が残されており、島の90%が森林である。島の中央部の宮之浦岳(1936m)を含む屋久杉自生林や西部林道付近など、島の面積の約21%にあたる107.47km2ユネスコ世界遺産に登録されている。この世界遺産への登録は1993年姫路城法隆寺白神山地とともに日本初である。

全島が屋久島町の町域である。

屋久島を流れる河川は放射状に広がり、その数は140にも及ぶ。主な河川は安房川宮之浦川永田川栗生川の4つである。また急峻な山々と日本一を誇る雨量のため深い渓谷が刻まれ、河床は急勾配でが発達している。大川の滝千尋の滝などが良く知られ、宮之浦川には、屋久島最大の竜王滝(3段110m)がある。

 

海からの湿った風がこれらの山にぶつかり、「屋久島は月のうち、三十五日は雨」[10]と表現されるほど大量の降雨をもたらすため、年間降水量は平地で4,500mm程度(平年値4,477.2mm)、山地では8,000mm~12,000mmにも達する[11]

 

植物相[編集]

温帯最下部のほぼ亜熱帯に属する地域にありながら、2,000m近い山々があるため亜熱帯から亜寒帯に及ぶ多様な植物相が確認されている。

海岸付近の低地はアコウガジュマルなど亜熱帯性の植物相である。このガジュマル林は日本最北端のものとされる。

 

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長ったらしくなりましたが、要するに屋久島は鹿児島の南側にあり、

漏斗を伏せたような形の島で、雨が多く標高差が大きいため、

多様な植物相を持つまれな島です。

 

そして屋久島を有名にしているのが屋久杉です。

 

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屋久杉[編集]

スギ(杉、Cryptomeria japonica)の屋久島に産し樹齢が1000年を越えるものをヤクスギと呼んでいる。屋久島の強風、多雨、地質、シカの生息などの自然環境に対応して、抗菌性を持つ樹脂を多量に分泌し極めて長寿になる、幼樹の葉が鋭いなど、特徴的な形質を有する。

ヤクスギ、モミ、ツガを主体とする温帯針葉樹林は屋久島の標高600m以上に分布する。600 – 1,200 mは低地を占める照葉樹林との移行帯であり、両方の要素が混交する。

抗菌性が強く耐久性があることが重視され、中世以降、建築材や造船材として開発された[23]。豊臣秀吉による京都方広寺大仏殿建立の際、石田三成島津義久に屋久島の木材資源調査を指示しており、実際に木材が薩南海域から大坂へ運ばれた形跡がある[24]

17世紀に薩摩藩によるヤクスギの伐採が本格化し、明治になるまでにヤクスギの良木のほとんどが伐採された。樹齢1000年程度の巨木は年輪がゆがみ、山地での製材が不可能であったため放置され、現在も生きているものが多い。伐採跡地にはスギの稚樹が成長し、以来300~400年を経て美しい二次林を形成している。三次林となっている林分も広い。現在は1000年程度の巨木や変形木をヤクスギ(屋久杉)とよび、二次林・三次林をつくる若いスギをコスギ(小杉)と呼ぶ。[25]

明治以降、屋久島の山林の大半は国有林に編入され、大正から昭和にかけて二次林・三次林の伐採が進んだ。1000年以上の「屋久杉」は切り残されることが多かったが、樹齢400年以下の「小杉」は、屋久杉ではないとされ、1955年(昭30)チェーンソーが導入されるとともに、大々的に伐採が進んだ[26]

現在、原生自然環境保全地域に含まれる小楊枝川流域、国立公園第一種特別地域に含まれる永田川流域、宮之浦川上流域、東部の安房川支流荒川左岸(ヤクスギランド)などがヤクスギの主要な群落として僅かに残されている。

屋久島最大の「縄文杉」はかつてその巨大さから推定樹齢6000年以上であるとされ、環境省(当時は環境庁)の環境週間ポスターで「7200歳です」と紹介されたことで、全国的に有名になった。現在では放射性炭素年代測定法で推定樹齢約2000年以上であることが確認されている。またその際内部組織の年代が入り乱れ、同心円状の年輪を形成していなかったことから合体木であるという説があったが、これに対して数本の大枝から葉をサンプリングして遺伝子分析解析を行った結果、一本の木であることが明らかになった。

なお現在までに確認された最古の木は「大王杉」で、やはり放射性炭素年代測定法で樹齢3000年以上とされる。

 

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1000年以下なら小僧扱いって、妖怪並みの凄さですね。 

くぐり杉を見て、トロッコ軌道をハイキングし、ウィルソン株へ、

その根元は、楽に潜り抜けられるぐらい大きな洞となっています。

ウィルソン株の内部。

ハートに見える切り口がラブリー(*^-^*)

 

    ++++++++ wikiより

 

ウィルソン株(ウィルソンかぶ)とは、屋久島にある屋久杉の切り株である。

1586年天正14年)、牧村の五郎七が足場を組み、豊臣秀吉の命令により大坂城築城(京都の方広寺建立とも)の為に切られたといわれる。胸高周囲13.8m。

ハーバード大学樹木園のための収集に、日本を訪れたアメリカの植物学者アーネスト・ヘンリー・ウィルソン (Ernest Henry Wilson) 博士により調査され、ソメイヨシノなど多くのなどの収集とともに1914年西洋文化圏に紹介され、後年この株の名前の由来となった。縄文杉発見(1966年)の52年前の調査である。

株の中には清水が湧き出ており、内部にがある。またこの杉は枝が多く、使い物にならなかった先端部分は、下のに放置され、今でも残っている。 周囲は立ち入り禁止区域になっているが、内部には入ることができ、空を見上げると「ハート」型に見えるポイントがある。

屋久杉は豊臣秀吉の頃から伐採が始まり、かなりの本数が切られています。

江戸時代に入り、まっすぐなものは平板に加工され、年貢米の代わりに

島津藩に収められて島民の経済の一端を担いました。

今でも、試し切り(平板に適するかどうか幹の一部を切ってみる)

した結果、不適と判断された大木が苔むしてそのまま残っています。

 

結果として残った杉は、切り出しに適さない険しい場所にあるか、

幹や枝ぶりがゆがんで明らかに板に適さないと判断された木でした。

見た目の美醜で運命が変わるというのも、不思議なものです。

 

そして最後の絶景。

長距離のトレッキング、お疲れさまでした。