智美美術館へ行ってみたいという友人に連れられて、虎ノ門ヒルズ駅へ。 虎ノ門ヒルズにも行ってみたかったのですが、あいにく出口は反対方向。右も左も高層ビルばっかりで、街頭の地図を見ながらあっちだこっちだと まさにおのぼりさん感満載。 友人は一度行ったことがあるそうなんですが、虎の門病院が5階建てのころ それでも、最寄りの神谷町駅からは登山だと言われたので、虎の門ヒルズ駅から うへぇ。 |
左側虎の門病院、右側は何だろう、増築工事?別物? |
江戸見坂の頂上?に建てられた案内板。
あたりはかなり標高が高く、確かに江戸時代なら海まで見渡せただろうと思わせた。 |
ホテルオータニの敷地を回り込み、設置されていたエスカレーターを使って のぼりをショートカット。 上がった先の広場を抜けると、そこが智美美術館でした。 やったね!(^^)/ |
智美美術館の展示は、篠田桃紅さんの墨を使ったモダンアートです。
でもその前に。。 みっしり詰まったチョコケーキをちまちま食べつつ、お手入れされたお庭を拝見。 |
その後ゆっくりと作品を拝見して、5時過ぎに美術館を出たんですが、この時期は まだまだ夕暮れ前。 神谷町駅までのんびり歩いてみたんですが。。。 こちらも急坂! 再開発でエレベーターがついていたので、階段を見向きもせずこちらを利用。 もともとは日比谷あたりまで海だったそうだから、神谷町駅辺りまで海岸線が 関係ないけど、皇居(江戸城、昔は千代田城)の敷地もすごい段差があったよ。 |
などと、作品をそっちのけで地形の話に興じておりました。
以下、ウィキから篠田桃紅さんのデータを転記します。 +++++++++ 来歴[編集]日本の租借地だった関東州大連に生まれる[3]。5歳頃から父に書の手ほどきを受ける。その後、女学校時代以外はほとんど独学で書を学ぶ。 1950年から数年、書道芸術院に所属して前衛書の作家たちと交流を持つが、1956年に渡米。抽象表現主義絵画が全盛期のニューヨークで、作品を制作する。文字の決まり事を離れた新しい墨の造形を試み、その作品は水墨の抽象画=墨象と呼ばれる。アメリカ滞在中、数回の個展を開き高い評価を得るが、乾いた気候が水墨に向かないと悟り、帰国。以後は日本で制作し各国で作品を発表している。 和紙に、墨・金箔・銀箔・金泥・銀泥・朱泥といった日本画の画材を用い、限られた色彩で多様な表情を生み出す。万葉集などを記した文字による制作も続けるが、墨象との線引きは難しい。近年はリトグラフも手掛けている。 海外では昭和30年代から美術家としての評価が高かったものの日本では海外ほどの評価を得ることができないままであったが、2000年代に入り新潟県新潟市や岐阜県関市に篠田の名を冠するギャラリーが相次いで開館した。 2014年5月、沼津市役所特別応接室に1966年に納入した壁画「泉」が、30年以上存在が忘れられた状態から再発見されたことが報じられた[4]。 2015年、『一〇三歳になってわかったこと』が45万部を超えるベストセラーになる[5]。 |
智美美術館へ行ってきました。
- 夏の夕涼みの風鈴の音
- 気になっていたあのお店に行ってきた